75人が本棚に入れています
本棚に追加
「ん……」
患者さんの手が僕の腕に伸びる。
意識があるのか。
頑丈な人だと、素直に思った。
「あ……、ぁ……」
何かを、言おうとしている?
「なんですか?どうしたんですか?」
僕は患者さんの口元へ耳を近付ける。
ストレッチャーが処置室へとたどり着いていた。
「た、か……し……さ」
え。
高橋さん?
聞き間違いだと思った。
僕の彼女への未練が、そうさせているのだと思った。
それでも僕は、反射的に振り返る。
その瞬間、「心停止っ」という内海先生の声が耳に飛び込んできた。
「内海、こっちっ」
僕が他のスタッフを呼び捨てるのは珍しいことだったが、その時は気付きもしなかった。
心の中にある余裕とか、雑念とか、そういうものが一気に吹っ飛ぶ。
指示を出しながら、無我夢中で心臓マッサージをした。
そこにいるのが本当にあの高橋さんだとか、八年前よりもさらに彼女が綺麗になっているだとか、そんなことはこの時の僕の頭の中にはなかった。
ただ、死ぬなと、そう念じた。
最初のコメントを投稿しよう!