第十章

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「夏目先生、高橋さん、起きたみたいです」 「はい、今行きます」 須藤さんと廊下を歩く。 「早いですね、起きるの。びっくりしちゃいました」 「ね」と短く答える。 外はまだ暗い。 高橋さんも、寝るのが怖いのかななんて、そんなことを思う。 だとすれば、やはり、あの時の僕の行動は間違っていたのだと、改めて思い知らされた。 ICUに入ると、カーテンの開いたベッドの上に高橋さんが起き上がっているのが見えた。 「こんばんは」と僕は彼女に声をかける。 こちらを向いた高橋さんと、目があった。 「こんばんは」 彼女がそう答えるまでの一瞬の間にあった表情の変化に気付くものはおそらくいないだろう。 事実、須藤さんはいつも通りに「こんばんは」と優しく微笑んだ。 驚き、恐怖、落胆、そのどれとも違うが、しかし、確実にマイナスの感情だ。 彼女は僕とは会いたくなかった。 その当然の事実に、ずきんと心が痛んだ。 「ご気分は、どうですか」 高橋さんは、きちんと僕の目を見て、「大丈夫です」と答えた。 八年ぶりに聞く、彼女の声だった。 あの頃と、何も変わらない。 高橋千佳は、確かにそこに存在していた。
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