第十章

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僕は笑顔で現在の状態や今後の説明を口にする。 そこにいるのは高橋さんであって高橋さんではないのだと、自分に言い聞かせた。 「明日中には、一般病棟の方に移ってもらうことになると思います」 「はい、わかりました」 長い間、ずっと会いたいと思っていた。 同時に、会いたくないとも思っていた高橋さんが、ここに、僕の目の前にいる。 何だか、不思議な気分だった。 高橋さんに幸せになっていてほしいとあれほど願ったはずなのに、加護将晴が須藤さんの恋人だと知って安心している僕は、ひどい人間だろうか。 そうかもしれないが、それでも、よかった。 高橋さんには恋人がいるかもしれない。 もしかしたら、もう結婚して子供がいる可能性だって考えられる。 彼女なら幸せなら、それでいい。 それでも、それらのすべてが、僕の知らない、見えないところで起こっていてほしいと、そう願った。 高橋さんがちらりと窓の外に目をやる。 そこで初めて、いつもは閉じているはずのレースのカーテンが開かれていることに気付いた。 そこから、丸い月がよく見えた。 「月が、綺麗ですね」 彼女は穏やかな表情でそう言った。 何気ない一言のはずなのに、心が、震えた。
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