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彼女は少し悩んでから、「ありがとうございます」と呟いて、番号を押した。
僕の携帯電話を耳に当てると、やがて一が出たのか、「ごめんね、こんな時間に。真帆」と声を発する。
一の声を聞いて安心したのか、止まりかかっていた彼女の涙がぼろぼろと溢れた。
「うん、大丈夫。ごめんね」と泣きながらも穏やかな話し方をする彼女を見ながら、このままでは何も言わずに電話を終えてしまうのではないかと思った僕は、彼女の手から携帯電話を奪い取って「区役所の隣のコンビニ。今すぐ来い」と叫んだ。
驚いた様子を見せた彼女と目が合う。
出過ぎた真似をしたのではないかと不安になった僕は、「ごめん」と謝って再び携帯電話を渡す。
「いえ、ありがとうございます」と無理に笑った彼女を見ていると、ずきんと胸が痛んだ。
「今の?夏目先輩。――うん、――うん、ごめんね。ありがとう」
「じゃあ」と電話を切った彼女は、それを僕に返した。
「すみません、ありがとうございます」
「いや」と答えて、再び沈黙が訪れた。
僕らは会話を交わすことなく、ただじっと、その場にいた。
よほど慌てて飛び出したのであろう、自転車に乗った一が到着するのに五分とかからなかった。
「真帆っ」
一と入れ違いに僕は本来の業務へと戻った。
その後、タクシーを呼んで二人を返すまで、一とはほとんど事務的な会話しかしなかった。
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