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竹馬に乗る時代は終わった。
おそらく大人が竹馬に乗る事は
先ずないだろう。いたとしても
一握りにすぎない。子供ですら
乗る姿を見ない。しかし、
某小学校では竹馬を取り入れた
教育がされているらしい。
一度時代の流れに埋もれた物も
平成の時代に引き上げられた事
には安堵を覚える。
山奥の平坦な土地を工事現場として今日も私は汗水垂らし、作業着を泥塗れにして働いていた。しかし、ある物を見つけた途端に自分の仕事に疑問を抱いた。
ある物とは竹馬である。
この時はまだ私は『それ』を見くびっていた。『それ』は私を覆い隠す背丈の草藪に埋もれていた。
誰かの忘れ物であろう『それ』は私に批判の眼差しで訴えかけた。
「お前は見捨てられたのか?哀れだな」と私は笑ってみせる。が、哀れなのは自分自身であると知っていた。こんな竹馬なんかに自分の存在意義に疑問を持たされたからだ。しかし、その疑問とはまだ明確なものではない。正直、私自身もよく分からないのである。
ヘルメットを草藪の中に放り投げ、『それ』に見下しながら踏みつけるように乗った。『それ』に意志があるのだろうか、まるで拒むかのように宙に放り出された。私は尻餅をついた。
「お前は乗られたくないようだな。薪にしてやろうか」と吐き捨てた。すっかり怯え、黙ってしまった『それ』は私を素直に乗せた。油断を見せた私は一歩、足を踏み込んだ瞬間に小石の上に乗り、バランスを保てるはずもなく倒れた。
そろそろ嫌気がさしてきた。
乱暴に『それ』を放り投げたく
なったが、『それ』に負けた気
がして投げ捨てようとする腕を
止めた。今の私は意地だけで
『それ』に乗ろうとしていた。
ただ馬鹿にされたくない一心
だった。
私は建設会社の社長の息子だけ
あって勝ち組としてキャリアを
積んでいた。だが、社長である
父がある日私にとんでもない事
を告げた。それは此処への
派遣だった。此処では私のキャ
リアは無意味なものであり、
無価値だった。現場の監督者は
周りの負け組同然の従業員と
同様に扱った。その扱い程私を
苦しめた物はなかった。
遅かれ早かれいつか社長になる
日が必ず来る。その時には私を
苦しめた者を解雇してやりたい
。
復讐心のみが憎悪を肥料に日々
成長していった。
監督者、許さない。
父よ、許さぬ。
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