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沖田が、その店『枡喜屋』を訪れたのは夕刻と呼ぶには、まだ些か時間がある頃合いである。
「すいません」
店の奥に声をかけると、程なく店主が現れる。
「これはこれは!」
如才ない笑みを浮かべた、いかにも商人然とした物腰の『枡喜屋伊平』は、京の商人としては変わり種とも言える人物である。
もともとは江戸は小伝馬町の生まれで、小間物を扱う行商人だったが、ひょんな事から、先代の枡喜屋に気に入られ、ついには店まで継いでしまったという人物である。
今年で三十三という事で、本来ならば店主としては若輩というべきな年齢であるが、その落ち着いた雰囲気は、ある種の貫禄さえ感じられた。
「近くまで来たので寄らしてもらいました。頼んでおいた研ぎはあがっていますか」
屈託のない沖田の問いに伊平は、わずかに表情を曇らせた。
「つい先ほどあがって参りました。明日使いを出してお知らせしようかと、、」
伊平は、一旦言葉を切る。
そして一、二度小さく頷くと、改めて言葉を続けた。
「沖田さん、とりあえずお茶でも飲んでいかれませんか?」
……………
「お待たせいたしました」
伊平が沖田の剣を作法通りの所作で差し出すと、沖田も作法通りに受け取ると丁寧に脇に置き、代わりに先程まで差していた剣を、やはり作法通りに差し出す。
これは沖田の物ではなかった。
研ぎに出している間に、代替として枡喜屋から借り受けていた物である。
研ぎが仕上がれば、当然返すべき筋の物であるが、伊平は首を横に振り、それを拒んだ。
「枡喜屋さん?貴方からお借りした刀ですよ?」
「それは承知しております沖田さん。ですが、、今しばらくお貸しします故、その刀をお使いください」
いつの間にか伊平の顔から笑顔が消えていた。
「それはおかしい。もともと私の刀が研ぎに出されている間だけお借りする約束の物ではありませんか」
屈託のない笑顔で沖田は刀を差し出すが、伊平は受け取ろうとはしない。
「あ?刃こぼれの心配ですか?大丈夫ですよ?斬り合いはありませんでしたから、、刃こぼれどころか曇り一つ、、」
「沖田さん」
尚も続けようとした沖田を伊平は静かに遮った。
「沖田さん、、私が何を言いたいのかは、わかっておられるはずです」
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