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「なに?」
「いや、何でもねぇ。」
「なら早く終わらせてよ。何回言わせるの。」
藤堂は唇を尖らせて子供みたいな駄々をこねた。
それを聞いてバタバタと梯子の上にのぼる市村の健気さは称賛に値する。
晋太郎は藤堂の「鉄を見習え」と言わんばかりの視線に背を向けると、自分も梯子の上へ戻った。
今までに一度だけ、あの藤堂が無差別な嫌悪を晋太郎に向けたことがあった。
晋太郎に対してではない、何かもっととてつもなく大きなものに対してだろう。
晋太郎自身、藤堂とはまだ数ヶ月の付き合いだし、彼を彼たらしめるものの切れ端くらいしか知らない。
嫌いな食べ物は最後に食べるだとか、負けず嫌いだとか、規則正しい生活が好きだとか。
大人びて見えるようで、年相応のことをしてみたり。
それらの中から、ふとすると滲む育ちの良さを晋太郎は感じていた。
農家商家の出が多い壬生浪士組の中でも随分と毛色の違う人間だというのは、もしかしたらそのせいかもしれない。
まるで武家の人間を見ているような気がして、晋太郎はちらりとそう述べてみたことがある。
「武家でも何でもないよ。」
あの時の不機嫌そうな、いや、不機嫌という言葉じゃおさまらない、まるでぞくっとするような冷たい光を奥に潜ませた瞳はおよそそれ以上の詮索を許さないものだった。
その答えですらも口にしたくないとでもいうように逸らした視線の先には晋太郎には見えない何かがあって、激しい嫌悪と動揺が垣間見えた。
それだから、藤堂が投げやりにした出自はきっと理由はどうあれ禁忌肢であったに違いない。
そう晋太郎がかい摘まんでいた直感は、図らずも事実として眼前で判明することになる。
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