ふたりの太郎

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◆◇◆◇◆◇ その⑧ 長年の逃亡生活から戻ったサル吉は、ひさびさに、犬を連れて山に登ってみた。 組の事務所には、もはや昔の面影はなく、立派なエントランスで受付嬢がお出迎えするオフィスビルに変わっていた。 サル吉には一応、役職付きの閑職が与えられていたが、もちろん居場所などあるはずがなかった。 サル吉が山に登る前の晩、トメ吉とシズエの生活にも変化が訪れた。 18の立派な青年になった桃太郎が、真剣な表情で話しだした。 「じいちゃん、ばあちゃん、おれ、島に行きてえんだ!」 トメ吉は何も言わず、ずり落ちた老眼鏡をヒョイと上げた。 「おれ、島に渡って、商売でイッパツ当ててみたいんだよ…!」 島とは、通称【鬼が島】と呼ばれている、国内有数の観光名所だ。 何故、その呼び名になったかはわからない。 晴れた日は、ここの山からでも、よく見えた。 ふたりは以前から、桃太郎が、島に行きたがっていることを知っていた。 町では、【変わり者夫婦の子】として扱われている。 桃太郎が、家を出る準備をこっそりしているのも知っている。 「ばあちゃんのきびだんごは日本一じゃ! これを店で売ったら全国から人が集まるじゃろ!」 いまどきダンゴひとつで家が建つ時代でもないことくらいわかっている。 桃太郎の優しさだろう。 ふたりは快くうなずいた。 「ありがとう、じいちゃん、ばあちゃん。 それから…これ…」 桃太郎は、小さくてきれいな箱を取り出した。 「昨日、町で買ったんだ。 おれがいなくなったら、寂しいだろうからさ… これ、おれだと思ってさ…」 箱の中には、銅製の飾りがついた鏡が入っていた。 その夜、トメ吉は、鏡を箱のまま抱いて寝た。
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