匂い

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私が産まれたのは1981年。 見合い結婚の両親の、最初の子供であり、祖父母にとって、手元で共に暮らす初めての孫だった。 年子の弟が誕生したのが約11ヶ月後。 それでもおそらく、私は最後まで相当に可愛がられた孫だった。 商いをしていると、近所との交流が多い。 自営業同士の集まりもあったし、大工や職人の出入りも毎日あった。 祖父は老人会の会長をしていたから近所の老人衆は皆、よく構ってくれたし、上がり込んで遊ばせてくれる家も沢山あった。 私は人一倍、内気で甘えたがりで、誉められるのが大好きな子供だった。 面倒な子供だったのだ。 幼稚園に通う頃には性格もマセてきて、正義感を振りかざしては、友人や弟と喧嘩ばかりしていた。 祖父母と両親の愛情に加えて、同居していた叔母との交流もとても楽しいものだった。 叔母は、博識で視野が広く、浪費は決してしないけれど、本や、毎日飲む昆布茶などには拘ってお金をかけていた。 衣装持ちではないけれど、どれも長年着れるもので、大事に手入れしていた。 派手な化粧はしなくても、愛用するゲラン以外のものは、絶対に使わないという頑ななまでの『自分流』があり、それは後に『偏屈』『気紛れ』などの要素に変わってしまうのだが、 当時の私にとっては、叔母もまた、様々な影響を与え、そして私を守ってくれる大人の一人だったのだ。
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