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「さて、とりあえず、看板出しとくか」
『ドールマスターの相談所』とだけ書かれた木の板を、宿の入り口に鎖を使って掛けておく。
基本的に、この辺りにおいては細かい法律が存在しない。
ぶっちゃければ、かなりルーズ。
向こうの世界なら、商業法だとか小難しい法律に引っかかったのだろうが、こちらの世界ではその心配が要らないという事だ。
ところで、ノアは『ドールマスター』という通り名で、名声を博している。
『ミストレス』では、その本質がどうしても分かりにくい。
『ドールマスター』と言われれば、すぐに、「ああ、人形遣いね」となる。
人形遣いの本質が不明瞭だが、ミストレス(奥様)よりは、頼りがいがある。
なんとなく強そうだし。
「これで下準備は終了な訳だが、ノアは何かしたい?」
「そうじゃな。ここ一帯の物見遊山と洒落込みたいのう」
「心得た」
木製の看板を裏返し、『休業中』にしておく。
時間はたくさんある。
ゆっくりと進めばいいのだ。
で、俺とノアは街をのんびり見物。
大陸の西、『遥かなる海(グランドクロス)』を臨む港町ハルヴァス。
鮮度が売りの卸売り商や、豊富な品揃えが特徴の青果市。
雑貨店や酒場が軒並み連ねるこの街は、やはり活気が良い。
人も多いし、依頼人に困る事はないだろう。
「時に翔馬よ」
愛する人が、俺の名を呼ぶ。
「なんだ?」
「こういう街が好きなのか?」
こういう、というのは、港町の事なのか、単に賑やかな街の事なのか。
二つに一つ。確率は五十パーセント。
「そうだな。生まれが、港町だったからな。嫌いじゃない」
「嫌いじゃない?」
ノアが、口に出して反芻する。
そうとはいざ知らず、俺の心境は「よっしゃ」だった。
無駄に好感度を落とさずに済んだ。
「嫌いじゃない。よく分からないんだ。小さい頃に引っ越したから」
「それは、懐かしいと言うんじゃぞ、翔馬」
懐かしい……か。
確かに、そうなのかもしれない。
もう二百年も前の事だけど、うっすらと覚えてはいる。
その潮の匂い。風の感触。人の活気。人の温もり。
俺は図らずも、郷愁の念に駆られてここまで来た訳だ。
「翔馬?」
遥か遠く、水平線を眺めていた俺に、ノアは声を掛ける。
なんて答えようか、しばし逡巡した後、はぐらかすように俺は、なんでもないと答えるのだった。
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