四国36不動第2番 慈眼寺

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『只管打坐(しかんたざ)』 意味は、ひたすら坐禅をする事です。 悟りの境地を得るには、念仏をしたり、難しい協議を学んだりするよりは、坐禅に打ち込む事が、修行の全てとされています。 臨済宗の様に公案を考えるのではなく、黙って坐わるものとされています。 これを『公案禅』に対して『黙照禅』と、呼びます。 『身心脱落』 束縛を離れ自由になる事です。 単に坐禅をした行為だけで終わったのでは、修行になりません。 明王院 境内 image=431463337.jpg
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