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落ち着いた調度品の室内で、湯気の立つ紅茶を誰も口にしない。
部屋の中心にあるダイニングテーブルにソファ、扉へ向かい合う席に王妃を据えて、テーブルの辺を囲うように侍女と自分が腰掛けている。落ちる沈黙の空気は静かに重く、最早国王の様子がおかしいと誰もが空気で語っていた。
誰も今まで口にはしなかった。それは不敬であるし、何よりも混乱を招くからだ。しかし事態は既に混乱の入り口を過ぎてしまっていた。
「……陛下は」
重苦しい空気の中、幼気にさえ聞こえる声が張り詰めた沈黙に針を刺した。
「冷静さを失っています……」
自分も侍女も、その言葉は口に出来なかった。それは国の危機と直結する。立場上、とてもではないが口に出す事を躊躇い、侍女は自身の主人を思って口はできなかったろう。それは崩壊の第一歩なのだから。
「そう、ですね__」
途切れながらも同意する。
「私がまだ側室だった頃、陛下はとても優しい青年なのだと感じました。私にとって、陛下は唯の青年だったんです。
重圧を肩に背負って、それでも頑張っている青年にしか見えませんでした」
そう言う王妃の言葉に、否定と肯定の声が沸き起こる。
「でも、それは陛下の一部だったんですね。」
「受け入れ難くお感じですか」
「私には、受け入れ難い事が多いです。でも、それが必要な事もあるのも分かるんです」
俯いて語る王妃は自らを落ち着けるように少し冷めた紅茶に手を伸ばす。
「今から考えると、クレア様はそんな陛下の部分を受け入れて理解してくれる人だったんじゃないかと思います」
それはその通りだった。こくりと頷く。
自分の知る国王は勿論1人の人間であるし、感情や衝動もある。対して国王は、ある意味どこまで行っても国王だった。
二面性と言うことではない。1人の男としての彼と、国王としての彼は別人でもなければ本人が切り替えをしている訳でもない。単純に仕事のスイッチを切り替えるようなものでもなく、『国王』も『青年』も彼を形作っている要素に過ぎないのだ。
どちらかだけを受け入れるのでも、2つだけを受け入れるのでもいけない。その両面でさえ、国王を形作っている要素の一部なのだから、全てを受け入れたような気になるのは傲慢だった。
「でも、そんなクレア様にも理解出来ないことが多い最近の陛下が、行き過ぎじゃないのか私にはよくわかりません……。
宰相様、こんな風に他の方のところの侍女を罰してもいいんですか?」
やっと今回の確認作業に移る流れを感じて、自分はここぞとばかりに口を開く。いつまでもこんな感情面の話ばかりしていられないのだ。
「国内の貴族であれば可能です」
そう口にしながら、自分の中でスイッチが切り替わるのがわかった。
こんな風にスイッチを押すのでもなく、毎日を過ごす国王が壊れるのは、ある意味当然の事だと感じる。
切り替えをして保つ自我というものがある。だがその境目を国王は持たないのだ。
幼い頃も以前も、それを尊敬こそすれ危機感を抱いた事などついぞ無かった。
自分の身にも起こり得る崩壊を予感して、空寒い思いを抱きながら話を進める事にした。
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