暴君は一日にして成らず

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 ***  雨は強さを増すばかり。 「皇士郎。俺のかわいい虎ノ介をあまり苛めないでおくれよ」  一日の修業を終え、日が暮れて、俺の部屋に夕餉を運んできたふたば――もとい獅ノ介がため息交じりに嘆いた。 「苛められているのは俺だ。ああしろこうしろと小うるさくてかなわん。そういえば、その虎ノ介は」  小言を言うために、激務の中わざわざ夕餉を運んでくるのではと思うくらい、必ずくる虎ノ介がいない。 「虎様は、やんごとなき事情で四ッ倉へ」  獅ノ介は、これみよがしに声にしなを作って言った。事情でなく、情事の間違いだろう。 「また鳶丸か」 「そういう言い方はないんじゃないか? 虎ノ介はお前のために“励んで”いるんだから」 「……獅ノ介、もしや今朝の聞いていたのか」  獅ノ介は正していた足を崩し、まさか、と壁に耳あり疑惑を手の甲で払いのけた。 「今朝は早くから八百津のことで零くんの相談に乗ってた。虎ノ介がこぼしていたんだよ。『皇士郎様はお考えが甘すぎる』ってね」 「八百津……ああ、だから鷹遠がこの部屋にいたのか」  昼間、着替えにこの部屋に帰ってきたら、いた。 「鷹遠が?」獅ノ介は心底いまいましいという顔で短く舌打ちをする。「鷹遠なんぞ呼ぶか」 「なぜだ? 上十家間の問題であれば鷹遠ほどうってつけの人物はいまい」 「だいたいあいつは出禁だ、出禁」 「どうしておまえは、それほどまでに鷹遠を毛嫌いする? 気のいい男ではないか」  それだけではない。  三代橋が当主、鷹遠という男は、くたびれた着流しを粋に着くずし、そこだけ引き締まったへこ帯に愛銃を無造作に差して、使い込んだキセルをくるりと回しながら、素足に雪駄をつっかけてふらりふらりと歩く。  その様があれほど堂に入っているものもそうそういまい。 「気のいい男だって?」は、と呆れを吐き出す笑いを見せ、「皇士郎は鷹遠の本性を知らないからそう言うんだ」  獅ノ介は、零くんも皇士郎もお菊さんも騙されてるんだ、と子供のように口を尖らせてふてくされた。 「本性? なんだそれは」 「あいつは……」獅ノ介は身を乗り出して片眉を上げた。「存在自体が煩悩なんだよ」 「存在自体が煩悩?」 「そ」軽快に笑いながら獅ノ介は、「それこそ108回めった打ちにしたって、へらへらしてるくらいのね」  ぽん、と俺の頭に手を置いた。
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