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関ヶ原の戦いにおいて、東軍に寝返り、戦局を大きく変えた男、小早川秀秋。
だが彼は関ヶ原から二年後、慶長七年(1602)に突如死去する。
が、彼の死因については様々な説があるのだ。
死因①
ある時、秀秋は暇つぶしに鷹狩へと出掛けた。
が、中々成果は揚がらず、秀秋は段々とイラついて来た。
そこで目に付いたのが、その辺に偶然居合わせた百姓である。
秀秋はその百姓に難癖付けて連れて来させ、ストレス発散にイジリ出したのだ。
百姓「おッ、お許し下せぇ、お許し下せぇ!!」
秀秋「聞こえんな。おお?」
ひたすら土下座をする百姓を、秀秋は足蹴にした。
さらに秀秋、この百姓を斬り捨てると言い出した。
百姓「オッ、オラが何をしたって言うんでさァ!?あんまりじゃありやせんか!!」
秀秋「知らんな。言い訳は地獄で聞いてもらえ!!」
秀秋が百姓に斬り掛かろうとした、その時。
百姓「……ッざけんなこのバカ殿がァァァァァ!!!!!!」
秀秋「……!?!?」
生命の危機に瀕して、戦闘力百倍の百姓、逆ギレ。
起き上がりざまに、秀秋の大事な大事なき○たまに渾身の膝蹴りをクリティカルヒットさせたのだ。
『ひゃくしょう の こうげき!!▽
ひゃくしょう の けたぐり!!▽
きゅうしょ に あたった!!▽
ひであき は たおれた!!▽
こばやかわけ は おさきまっくらになった!!▽』
秀秋はその場に悶絶して倒れると、そのまま帰らぬ人になった。
享年二十二歳。
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