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鬼武蔵が小牧長久手の戦いで鬼退治された後。
森家の当主には鬼武蔵や蘭丸の末の弟、森忠政が就いた。
忠政は関ヶ原の後、川中島周辺に領地を受け取ったのだが……。
忠政「は~い、検地しま~す」
慶長七年(1602)、忠政は突如として領地の検地を行った。
その結果、川中島の石高は……。
約13万石 → 約19万石
百姓「こ れ は ひ ど い」
……1.5倍である。
石高が1.5倍という事はつまり、税金も1.5倍になるという事である。
忠政は検地という名目で、大増税をやってのけたのだ。
当然の事ながら、領民は反発。
川中島四郡で、全領一揆が勃発してしまった。
忠政「はいはいその位、事前に予測してましたよ~。
甲賀衆の皆さ~ん、よろしく頼みましたよ~」
タチの悪い事に、忠政は甲賀忍者をある程度雇っていた。
忍者により一揆勢の情報は忠政に筒抜け、一揆に関わる人物は次から次に逮捕された。
……その数、およそ600人。
鬼武蔵をも撤退させた川中島全領一揆も、忠政はわずか数日で鎮圧してしまった。
だが、話はここで終わらない。
鬼武蔵の弟は、鬼どころの騒ぎじゃなかったのだ。
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