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そのノックだけでドアの向こうの人物が判ったのだろう、舌打ちでもしそうにしかめた顔でドアを僅かに開ける。
ドアの向こうにいたのは、薄汚れたジャケットに裾の擦り切れたズボンというみすぼらしい風体の小男だった。唇を歪めて卑屈な笑みを浮かべた顔を、無精髭が覆っている。
一目見るなり、ドアの内側の男は外側の男の指を挟もうがお構いなしというためらいの無さで、ドアを閉めた。
「お金なら貸しませんよ」
あまつさえ冷たく言い放つ。その表情は、どこまで逃げてもついてきた黒猫に遂に目の前を横切られたような、苦々しいものだった。
果たして予想通りだったらしい。
「うぉい!いきなり閉めるたぁ酷いじゃねぇか!」
ドアの向こうから怒鳴り声。存外に声は若いが、酒に焼けて枯れている。
「へえ、これは驚いた。あんたの辞書と天秤じゃ、顔馴染に度々金を無心に来るのとそれに愛想を尽かすの、後者の方が酷いって事になってるんですね」
嫌味たらしく眼鏡の男がドアの向こうに声を刺す。職業柄なのか、サーベルで貫くようにではなく、針で縫い付けるようにちくちくと。それでいて、どこか気安い響きもあった。
「今回は違ぇんだよ!だいたい、こないだの分は返したろ?」
「ええこないだの分は頂きました。こないだの分はね?けどね、まだあんたに貸してる分は八万六千三百飛んで――」
「分かった分かった!それは今度返す!そんな事はいいから入れてくれよ、今度という今度はおれ殺されるかもしれないんだって!」
「くたばれ」
「直球!?」
おいおいそんな悪魔みたいな事言うのよしてくれよぉとドアにもたれて喚きだした小男は、突然ドアが開いた為に無様にすっころび、鼻柱をしたたかに打った。
「あててて……っ。おいてめ、何すんだよ」
「近所迷惑ですから。もう少ししたら私の名前叫び出しそうでしたし、そうなったらほら、体面が悪いですし。入れてやっただけで感謝なさいよ。茶を淹れてやるつもりはありませんが」
ざくざくと切り進む裁ち鋏の切れ味で眼鏡の男は毒舌を振るう。小男は「相変わらず容赦ねぇな」と傷ついた顔をして非難の声は上げるものの、その空気は慣れ合った者達のそれだった。
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