◆ 加藤清正 ◆

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尾張国(愛知県)の人物。 幼少より豊臣秀吉に仕え、その緒戦に従い賤ヶ岳では七本槍の一人となる。 その他数々の戦功により九州征伐ののち、肥後半国(熊本県)の領主となった。 領内では治水・干拓に尽力し、また隣の小西領とは違いキリシタン弾圧に積極的だった。 どうやら熱心な日蓮宗の信奉者であると同時に保護者であったようであり、日蓮宗寺院の建立を進めた。   文禄慶長の役では朝鮮に出兵して活躍。 文禄の役では先鋒として明(中華人民共和国)の東北部まで進撃、慶長の役での蔚山城の戦いで奮戦した。 秀吉の死後は武断派筆頭として石田三成と対立。 関ヶ原では九州に留まり東軍に荷担して肥後一国に加増。 その後は豊臣氏の安泰のために動くが急死、没後大坂の陣が起こった。   家臣及び自らが築城・治水の名手であり、熊本城や名古屋城にその功績を残す。 また剛毅にして忠義に厚いその人柄で江戸時代以降人気を博し、数々講談・小説・戯曲などに登場して後世の庶民に愛されている。
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