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「落ちたのは、兎ではなかった様ですよ」
黒いタキシードに、シルクハット。
いわゆる現代においては仮装でしかないその出で立ちも、なんとなく納得させてしまう雰囲気を持つその男は言った。
今あたしに向けられているその柔らかい微笑みはどう見たって魅力的で、大抵の健全な女子なら頬を赤らめてしまうんだろう。
しかし、あたしはうんざりしていた。
……何に?って?
もちろん、このいい加減な世界に、だ。
「…ティーカップはお嫌いですか?」
男は、あたしの目の前に置かれたソレをソーサーごと取り上げると、取っ手の部分を指先で摘み素敵なフォームで口内に納める。
「ソレがティーカップなら、紅茶はどこにあるの?」
「コレにお茶を注いだのなら、すぐに溶けてしまいますからね」
男はにっこりと笑うと、テーブルの中央に山と積まれたティーカップの中からピンク色のソレを取り、ソーサーに乗せてあたしの目の前に差し出した。
「どうぞ、召し上がれ。」
きっと“夢"を見てるんだ。
古典的方法ながら、自分で自分の頬をつねってみる。
指に当たる皮膚の感触も、ピリッとくる痛みも、リアルだった。
最悪…
夢の中だと痛くないんじゃなかったっけ?
ぼんやりと考える。
いや、あながちそうでもないのかもしれない。
夢なんて、きっと何でも有りなんだ。
どこまでも続く長いテーブル。
整然と並べられた金細工付きの瀟洒な椅子。
壁には大小様々なドアが張り付いている。
そして、どこからか無数の囁き声…
見上げれば満天の星空に太くて立派な柱が何本も突き刺さり、逆に落ちて行きそうな感覚にとらわれる。
ねぇ。
これが夢じゃなければ、何だっていうんだろう。
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