あなたは、正直過ぎる。

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考えてみよう。入試から合格発表まで、何日あるか。 あなたが書いた作文の中に描かれた事実関係が、真実か捏造か調べている暇はない。 作文に嘘を書いていいのである。 「文はウソなり」である。 よほど荒唐無稽なリアリティを欠く嘘でない限り、嘘を書いてもよい。 おのれの心を偽ってでも、教師が好きそうな嘘を書ける処世術の持ち主を入試は求めているのである。 教師は、何書いてやったら喜ぶか、それだけ考えれば良いのである。 「中学生活で一番感動した事」 を書けという問題が出たとする。 受験生活は無味乾燥で、いちいち日常の瑣末事に感動なんぞしていたら、身が持たない。作文で発表出来る感動なんかない者がほとんどである。 だが、採点側は感動を求めているのである。あなたは、無理にでも感動する必要がある。事実を捏造してでも感動する必要がある。 たとえば、あなたが志願する高校がキリスト教系のミッションスクールなら、クリスマスに感動するのがお薦めである。 キリスト教なんて、興味がなかった。友達に誘われて、最初はいやいやついて行った。神父さんの話に感動した。誘った友達が、いつもクラスで、損な役割を引き受け、要領の悪い、トロい子だと内心バカにしていたが、その子を見る目が変わった。その子がイェスキリストに見えた。 と書けば、教師は喜ぶ。あとで亀先生が、カンペを用意しといたげる。 クリスマスに偽りの感動物語を展開するなら、神父の先生の説教内容も、捏造できなければならない。 そんなもん、インターネットで「クリスマス説教」と文字列検索をかければ、いくらでも、ネタは集まる。それが沖縄の教会でも、北海道の教会でも構わない。 鳥取の教会の出来事として書けば良い。クリスマス説教なんぞ、全国的に大同小異である。 感動したと、あなたが言い張れば、感動したはずがないという反論は出来ない。 あなたが合格後、神を冒涜し続けても、入試の作文を盾にとる教師はいない。 もしいても、「その時は確かにそう思った」と強弁すればいい。 この世は、あとから話が違ってくる例に満ちている。 民主党マニフェストを見よ。
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