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くつろいだ様子で現れたのは、新進アーティストの櫻井ゆずきだった。
最近、よくテレビで見かける。
どこか危険な匂いのする翳りを帯びた容姿と、独特のハスキーボイスが、若い女性を中心に受け、人気急上昇中だ。
確か、24、5才のはずだが、実際に会うと、テレビで見るより老けて見える。
「立ち話も何だから、まあ、座って」
案内役の男に何事か目で合図して、ゆずきは、片手をソファーに伸べた。
あたしは、黙って腰をおろした。
「君にお願いがあるんだ」
向かいに座るなり、ゆずきは単刀直入に切り出した。
「北条の屋敷にメイドとして潜入し、ある物を盗み出してほしい」
「ぬ、盗むって…」
あまりにも予想外のゆずきの言葉に、あたしは絶句した。
意外な展開の連続で、思考がついていけない。
ゆずきは表情を引き締めて、鋭く光る目であたしをみつめた。
「北条財閥は知っているね?」
「は、はい……」
あたしは、こくりと頷いた。
宝石からエステまで、幅広い事業を展開する、日本でも屈指の大財閥。
その資産は、400億とも言われている。
つい2ケ月ほど前も、銀座の並木通りに超高級ブティックをオープンさせて、話題になっていた。
「北条の屋敷は、渋谷の松濤にある。そこにメイドとして潜入し、USBカードを盗み出してほしい」
「ちょ、ちょっと待ってください!あたし、できません、そんなこと……」
あたしは思わずソファーから立ちあがり、叫ぶように言った。
「君に選択の余地はない。断ると言うなら、万引きの罪で警察に引き渡すまでだ。証拠の画像を添えてね」
「っ!」
あたしは、息を呑んだ。
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