総美国(そうみのくに)

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 神代光也は七年前、倖太夫の娘美琴を正妻として貰っている。    そして一年前、やはり戦を巡って主君八郷宗駿に厳しく意見し、宗駿より激しい勘気を被り、危うく閉門させられそうになったところを、此度も倖太夫の取りなしにより救われていた。    『それにしても、最近殿は無茶で粗雑な戦をし過ぎる。』というのが、三人の共通の胸のうちだ。  周辺の国の動向も大して探らず、思い付きのままに戦を仕掛けている。  総美国の北側に隣接している梁瀬と馬上の国があり、それを挟んで海を持たぬ大国『興山(こうざん)』がある。    今回戦を仕掛けてきた小国笠倉国は梁瀬国と馬上国、そして総美の国に囲まれ、ほぼ下向きの三角形のような領土である。  北に鋸岳(のこぎりだけ)という峻厳な山脈を楯にし、東側に船で往き来するのにも難儀する流れの早い砕竜川(さいりゅうがわ)と、西側に大河遠見川(とおみがわ)が流れ、それが南端で合流して、さらに巨大な河となる。  この天然の城壁に守られ、辛うじて笠倉は独立を守っている。     西には塩を特産とする小国佐曜(さよう)が、その隣には総美と同様に巨大な港を持つ大国『海道(かいどう)』があった。    総美・興山・海道は三国同盟を結び、互いに血縁関係を結んだ。  興山国の藩主不破晴臣(ふわはるおみ)は、八郷宗駿の妹真鶴(まつる)を正妻に迎えた。  興山の晴臣には近親に適当な娘が居なかった為、重臣の娘で美人の誉れの高い蝶舞(ちょうぶ)を養女にし、海道の田辺堂景に嫁がせていた。  晴臣はそれだけでは足りぬと見て、さらに側室の腹から産まれた次男晴貴(はるき)を人質として養子に出している。  そして総美の宗駿は、海道の田辺堂景(たなべどうけい)の姪遊海(ゆうみ)を妻に迎えている。    三大国の同盟もあり、この時期の八郷宗駿は相当に慢心していたと言える。
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