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森鴎外は、その評論活動の中で、
「歴史其儘と歴史離れ」という論文を書いているらしい。
何でも、現在はありのままに書くのに、過去が勝手な妄想を付け加えられ、小説的世界に変わるのを嫌ったのだと言う。
先程から、延々とこんな話を語って聞かせるのは、クラスメイトの長沼だ。長沼は、私の通う女学院でも取り分け賢く、それでいて人が良い。
元来人好きのする性質で、その上一貫教育の学校なものだから、知り合いも増え、周りは何時も黒山の人だかりが出来ている。
「鴎外の史伝観に近代の問題意識が見えるのが面白いんだよね。何て言うか…小説には無い感じ。」
「えー…私は鴎外なら歴史小説派だなぁ。だって実際有名所って言ったら、そっちじゃん。」
どんどんと激化する高度な論戦の隣、我が道を行く咲子は、一人周囲の雑談を片耳で聞き流しつつ、バイオリンの調弦をする。
親指で、ぽーんと一つ弦を弾けば、煩くなくもなく、それでいて心地の良い音が耳へと届いた。
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