0.触穢へのペレストロイカ

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 瞬間、凍りつく体。階段に縫い付けられる足。見えない幾千もの鎖と楔が磔を形成する。  容姿と比べても何ら違和感の無いソプラノヴォイスにより、まるで頭から氷水を被ったかのような悪寒が身体中を駆け巡った。  俺は振り向かない。振り向きたくない。振り向いてはいけない。  体があの女を拒絶している。胸中も言わずともがなだ。  一言も返せずに動揺する俺は、逃げる事無く動く事すら無く立ち尽くしていた。喉の奥がスースーする。 「血、口の周りに付いているよ。大丈夫なの?」  血? 血ってなんだ? そんな物なんて流した事があっただろうか。  ――ああ、そうだ。そういえば先ほど吐血させられていたか。忘れていた。  あの連中により受けた暴行の記憶など、この女の登場によって跡形も無く消える一歩手前にまでに達していた。  鉛のように重くなった腕をやっと持ち上げ、青紫の血管が浮き上がる手の甲で口元を拭う。見ると血がべったりとへばり付いていた。 「……どうも」  吐いた血は飲み込んだので、恐らく唇が切れて溢れてきたのだろう。痛みが分からない自分には、他にもどこをどう怪我しているのか分からない。  ……いや、この際血や痛みなどどうでもいい。この場からすぐに去りたい。去らねばならない。  背に凭れかかる重圧感をそのままに、無理矢理に足を前へ差し出す。  腹の底から絞り出した今の言葉を無駄にしない為に、これ以上あの女と関わらない為に……  俺はそろりそろりと歩いている。女は足音を立てずに存在感だけを放つ。暖色の光の中、その静寂は形を保っていた。  数時間にも感じた数十秒が終わってしまいそうだ。早く終わってしまえ。  鎖がちぎれる。楔は抜かれる。縫い糸はほどける。夕陽に包まれる。巷で聞く安楽死というものは、もしかすると今のような感覚に似ているのかもしれない。  大袈裟な話かもしれないが、そう感じざるを得ないほどに重かったのだ。女が放つ威圧感が。
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