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びょうびょうたる人生。それは孤高でもなく、また孤独とも例えがたい。
蜃気楼のような、ひとり。限りなくゼロに近い、ひとつ。確立さえ霞んだ、ひと――みんなみんな俺の代名詞。
親も兄弟も姉妹も無い閉鎖空間で無我夢中に生き抜く。その代償として、感情表現の方法を忘れてしまった。
もう六年は喜怒哀楽を堪能していない。痛みも寂しさも羨みも訪れない日常、白と黒のグラデーションだけで構成された景色の中では、何かを感じる方法すらも分からない。
家事と節約術、それ以外に関しては無知。ご教授を願う人脈も無いし、それを求める意志すら無い。
――しかし、今日は?
そう、『今日』が問題なのだ。洗剤が足りなくなった事も、いつもより多く水を使ってしまった事も二の次だ。
何か……予感がするのだ。今までその存在に気付けなかった空白を埋めるような、何かが。
それもこれも、一人の人間との出会いが引き金だった。
あの黒髪の女だ。言葉を交わさずとも読み取れる気品、そして秀麗なる出で立ち。併せて躍るる邪気と暗影。
その跫音(きょうおん)を避ければ良い――と図れば終わるはずなのに、あの黒衣から遠ざかれば遠ざかるほど瞼の裏を侵食していく。
自分でもうんざりしているのに、あの黒白(こくびゃく)が剥がれないのだ。
あの姿を目に焼き付けた瞬間、俺は産声をあげたような――そして誰かが俺という存在を完成させたような、何度も何度もそう思う。そうでなければ多血ごときであれほど動揺はしない。
今こうして物思いに耽っている時点で、俺は昨日の自分とは全くと言っていいほど違えてしまっているのだ。
……今日は二人の容姿端麗な女と言葉を交わした。そんな事は記憶にも残らないはずなのに、俺は彼女らの姿を覚えている。
明日も明後日も、きっと俺は覚えている。
あの時を境に、俺は『思う』という事を学んだというのか?
だとしたら――
俺は夢に落ちる術も無く、その夜を超えた。
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