0.触穢へのペレストロイカ

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  「歩きながらでも話せるでしょ? ほら、じれったいから早く来なさいって」 「……」  とかく、遅刻は避けるべきだ。背に腹は代えられない。  家門を通り抜け、乾ききったアスファルトを踏みつける。街路樹の影のあちこちには木漏れ日が落ち、すずめ達は生命の息吹を奏でていた。  ここがベッドタウンだからか、様々な車が列を成して一つの目的地を目指している。陽光を跳ね返す車体が目障りだ。  追いかける風に押されながら、俺と奇人は肩を並べて歩きだす。終着点は我が学舎。俺にとっては何よりも邪険な場所。 「昨日、アンタ血ィ吐きながら歩いていたでしょ? 何があったのか教えなさいよ」 「……」  俺は何も答えなかった。答えたくなかったのだ。とるに足らない出来事を相談する事に、何の意味も為さないから。それどころか、得体の知れない者との関わりを作ってしまって更に厄介な目に遭うから。  暫し続いた無言。小鳥のさえずりやエンジン音により、それは気まずい沈黙にまでは至れなかった。 「だんまりね。いいわ、じゃあ勝手に推測を立てるから」  痺れを切らした女は歩幅を広め、まるで俺を先導するかのように眼前へ躍り出た。  本来ならば蝿となんら変わりない扱いをする所だが、そこはやはり昨日の今日。綻び始めた心情は興味を示してしまっている。 「アンタが誰かにリンチを受けた。そんで吐血したと。でもあの血の量から考えるに、傷は口内だけではないわね」 「……」  今朝の内に大袈裟なガーゼは取られ、今は地味な絆創膏で傷痍を隠している。一見すれば大した事のない外傷と捉えがちだが、その下に潜む傷口はいかにもグロテスクなのだ。  それにしても、この女は超能力者か何かなのだろうか? 一字一句とも間違いは無い。  まるで現場を目の当たりにしたかのような憶測に、俺は固い固いグレーの絨毯に目を落とし、穴だらけの白線を端に引いた。  ――瞬間、足は止まる。  前髪の暖簾(のれん)は惰性に従う。光の塊は我先にと流れ込む。  遠くまで続く木の葉達の青さが、眩しすぎる陽光で碧に燃えていた。 「アンタさ、図星を突かれると目を背ける癖でもあるの?」  柔らかそうな、しかし芯だけは頑丈そうな腕が、俺の胸を突いていた。  人だ。俺は今、服越しで『人』という有機物に触れられている。  脚のバネはその浮遊感に絆され、弾みはしなかった。
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