0.触穢へのペレストロイカ

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   授業の内容は全く頭に入らなかった。中間テストが再来週に控えているというのに、ノートには板書の一片も記されていない。  自らを疑う自分と、それを抑える自分とが頭の中で戦っている。その戦役を敷くだけで精一杯なのだ。  それは宛ら(さながら)一進一退の稲葉山の戦い。悪戦苦闘の大合戦。  頭の中はそれだけでパンク寸前だというのに、亜麻色の長髪を靡かせる彼女と、暗闇に溶け込む禍々しき彼女に対しても深慮を充てていた。  こんな状態では、授業などまともに受けられる物ではない。  ――やがて周囲が箸をぶつかり合わせる音で一杯になると、ようやく俺は正気に戻った。  今まで歯牙にも掛けなかったというのに、この耳は箸の音や談笑の声などにやたら敏感になっている。今まで無関心を貫き通してきたというのに、この目は周囲をずっと見回している。  俺は机に視線を降ろした。きっと昨夜は眠らなかったから、自分らしからぬ心情を抱いてしまっているのかもしれない――と、結論付けたから。  そうだ。きっと今朝のあの女の言葉が心を抉ったのも、頭が冴え渡っていない状況だからこそ起きただけなのだ。絶対にそうだ。  辺りから弁当のものと思われる匂いがする。節約の為に昼ごはんを省く自分には、邪僻しか無い。それでも、今は眠らないといけない。  机上に突っ伏して瞼を閉じる。そうすればきっと、また昨日の同時刻の自分を取り戻せる。そう信じている。  『――自分に対して色々と託けて、無理してるんだってばぁ!』  ……なんでそんな言葉を今、思い出すんだよ。俺は自分自身のやりたいように動いているだけだ。俺は俺であり、その中に他者など孕んでなんかいない。  瞼の裏に広がる闇には、黒髪の女が浮かび上がる。  いつものように学校に登校できたという事は、何も問題が起きなかったという事。すなわち昨日、俺は彼女を殺していないという事になる。  幸か不幸か、あの女が生きているという事は、今この校舎のどこかに身を置いているはずだ。  だとしたら……俺はあの足音から逃げ続けねばならない。  黒髪の女を映した目は、徐々に真っ暗に染まっていった。
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