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遂にその瞬間は訪れてしまった。真矢は何よりも避けたかったというのに、相反するようにして二人は面してしまったのだ。
その自然的な白皙、人工のウィッグでは再現不可であろう黒髪、グラスアイごときでは到底及ばないほどに爛々とした黒い瞳。
その甘美な香りの元は、真矢が寝転ぶすぐ隣にまで歩み寄り、濁乱の瞳を覗き込んでいた。
「看てあげるよ。体のどこかで不調な箇所は無ぁい?」
「……」
聖母のごとき微笑みで、まるで子供をあやすように語りかける女。
その美貌から咲く笑みは、不気味なほどに純粋で慈愛に満ち溢れている。
真矢にとっては、それが何よりの疑念であった。
黒髪の女は、細めた目で真矢の声を待ち続けている。何よりも残酷な選択を、真矢は強いられていた。
あの亜麻色の髪の女よりも関わりたくなかった存在が、今こうして真矢の言葉を求めている。無痛症の彼に「痛む所は無いか?」と。
指の爪は朱鷺色。真矢の胸元にそっと舞い降りるそれは、問いの答えを急き立てているかのようだった。
「……」
「……」
尚も続く沈黙。微動だにしようとしない真矢と、痺れを切らせて病状を告げさせんと迫る女。
待つか動くか、明らかに勝敗は予測できる心理戦。彼の目には若く映るが、その貫禄から読み取れる忍耐差は歴然としていた。
それでも真矢は、口を利かずに足掻き続けるばかり。
いつしか陽は更に落ち込み、闇夜が窓外を進行し始めた頃にまで静寂は続いた。
時計の分針は数周しているというのに、真矢の中ではそれが激流の如く過ぎ去っている。
彼女もまた、その穏やかな表情を貫きはしていたが、真矢の胸元に添えた指をいつの間にか一定のリズムで上下させていた。
「う……ん。ん? んんん!? ちょ、おまっ! もう七時過ぎてるじゃない! なんで起こしてくれないのよ、秋本ちゃん!」
真矢はその怒声に、虫の息を吹き替えした。それまで死人のように横たえていた体が、咄嗟に羽ぼうきのように軽くなる。
そのハスキーボイスを目指す視線が、何よりの証拠であった。
そしてその様を、『秋本ちゃん』と呼称された黒髪の女はしみじみと黙視していた。
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