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「あ、このやろう! せっかくアタシがわざわざパンを買いに行ってやったのにトンズラこきやがって! かような悪行……例えお天道様が許しても、このアタシは許しやしないよ!」
真矢の視界は、ようやく今現在の居場所を収めた。
純白のカーテン、同色の掛布団とベッド。チカチカと目にまとわりつくLEDの灯りが、その白さを引き立てている。
――無論、脇に立つ『秋本ちゃん』と呼ばれた黒髪の女が持つ、玉繭のような柔肌をも。
保健室か。そう真矢はベッドの上で察した。なぜこのような場所に自分は寝ているのだろう――と、ほぼ同時に。
その白と黒だけの絵画のごとし世界は、波打つカーテンから出でし者にて儚くも破かれた。
その青白い顔を覗き込む女は二人。真矢の視線は、やはり亜麻色の髪の乙女に手繰り寄せられた。
この状況下では、多少なりとも暴力的な発言を繰り返す彼女ですら女神と錯覚してしまう。
「まったくもう! まったくもう! ホントにホントにまったくもう! 無駄に労力も金も費やしたじゃない! このアタシの親切心を踏みにじるだなんて、ふざけ……ちょっと、ちゃんとアタシの話を聞いてんの!? ボケ~っと口開けてないで、シャキッとしなさい!」
シーツに刻まれるシワを気にも止めず、ベッドに身を乗り出して真矢の胸ぐらを掴む。
怒声と共に飛散する唾は、彼の顔面のあちこちを湿らせた。
その弁柄色の瞳はこれまでに無いほどに距離を縮めており、それゆえ必然的に彼女の整った顔も近付く。
彼女が一喝する度に頬を滑る甘い吐息。近距離にも関わらず、毛穴は全く見当たらない。
ふっくらとした桜色の唇から放たれる罵声など、真矢には馬の耳に念仏であった。
「静ちゃんはね、阿久根君が目を醒ますまで待つつもりだったのよ。途中から『ヒマ!』だなんて言ってベッドで寝ちゃったけど」
「だからって七時過ぎてまで起こさないだなんてヒドイじゃない! アタシ、家まで徒歩三時間なんだけど! もう最悪!」
真矢に向ける視線をそのままに、黒髪の女はその柔らかいソプラノボイスで経緯を語る。
もっとも、真矢が聞き耳を立てるは片方の女の怒号だけだが。
その大声を耳にした黒髪の女は、くすりとイタズラな笑みを浮かべた。
「ふふ、ごめんごめん。怒っている静ちゃんを見ていると面白いから、つい。車で家まで送ってあげるから、許してね?」
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