1.眩暈へのサンタ・バーバラ

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  「あ、そうだ」  黒髪の女は、尚も真矢の視線を浴びる事は無かった。その対象が亜麻色の髪の乙女の横顔だからである。  無防備に覗くうなじと、滑らかな曲線を描く耳。女子特有のその細い首は、彼にとって初めて拝むものであった。  これにより黒髪の女の声など、爪牙にかける事すら能わ(あたわ)ない。  十代の若さ溢れる彼女は、真矢の困惑など露知らず。  黒髪の女に見せているしかめっ面は、幸いにも彼の表情を察するには至らなかった。 「阿久根君も静ちゃんと一緒に乗っていく? お外ももう暗いし、五月とはいえ寒いよ?」 「……」  聞こえているにも関わらず、真矢は応えようとしない。  流石に名指しで質問されれば、嫌でも意識してしまう。それでも、真矢はできる限り彼女とは他人同士の関係を望んだ。ゆえに何も言わない。  あからさまなその態度に、黒髪の女の微笑へ僅かな陰が落ちた。  しかし亜麻色の髪の女はその表情を物ともせず、囀ずる。 「ちょ、ちょっと待って。秋本ちゃん、まだ勤務時間じゃないの? ずっとコイツに付きっきりだったんでしょ? それなのに学校を出てもいいの?」 「ん……うん、大丈夫。お仕事なら二人が眠っている間に大半は終わらせたし、仕上げはお家でもできるからねぇ」  学生である彼女は青かった。まだ羽ばたき方をやっと覚えた小鳥のように、右も左も分からず、とにかく飛ぶ。  自己中心的と捉えるには過剰で、自由奔放と捉えるには生易しい。その場を見渡す技量が彼女には未だ伴っていないのだ。  故に真矢は救われる。言葉を交わさずとも、うまく事が流れていくから。  黒髪の女は、それを見てつまらなそうに笑った。  しかしてその笑みの意味を、十五歳の青い少女は知る由も無い。  鼻を刺す薬の香りの中、真矢だけはずっとずっと沈黙するばかり。  彼もまた、青い鳥であった。
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