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「本当に乗らないの?」
「……」
イギリス製のジャガー・エックスエフ。そのサイドドアを半開きに、黒髪の女は真矢に語りかけた。
黒い長髪、黒いパンツスーツ、黒いジャガー、そして黒い瞳。保健室から一転、かび臭いガレージに舞い降りた黒。
既に後部座席でシートベルトを閉める亜麻色の髪の女は、幽霊のように立つ真矢を怪訝な顔で見つめていた。
真矢が車に乗ろうとしない事を、彼女もまた怪しんでいるのだ。
そんな彼女が真矢の為に持ってきた鞄を、彼は肩にかけている。湿った空気にその身を曝して、彼は立ち尽くしている。
病的に白い肌をした彼を夜風へ翳す(かざす)には、二人の女にとって心もとないものだった。
「……」
「……あ」
踵を返し、闇の中に身を投げ出す青年。その広くて小さい背中に、黒髪の女は哀苦の一声を洩らす。
黒光りするブランド車から遠ざかる影に、もう一人の美女も堪らずため息をついた。
「……ま~た頭ん中でゴチャゴチャ言ってるんだろうな。しゃらくせえヤツ」
スカートから伸びる長い脚を組み、ぽつりと独り言を落とす。
彼女は一級品のシートに腰を降ろしながら、夜に溶ける真矢の後ろ姿を見送った。
隠った風にさらりと揺れる黒髪の持ち主は、既に真矢が消えたにも関わらず車外で佇んでいた。
『静ちゃん』と呼ばれし亜麻色の髪の女は、乗車を急かす事なく待ち続ける。彼女もまた、そうしていたいという衝動に駆られたから。
「……っと、いけないいけない。待たせちゃってごめんね」
「いんや、別にアタシはいいって。アイツももう少し愛想良くできればいいのにね……」
「きっとそういう性格の子なんだよ、阿久根君は」
サイドドアをようやく閉め、颯爽と運転席に座る。流るる黒髪はその軌跡を辿り、車内には紫丁香花(むらさきはしどい)の香りが咲き誇った。
甘く爽やかな風に、青い小鳥はくらくら酔いしれる。芳しき(かぐわき)女に、堪らず彼女は再びその小さな嘴(くちばし)で囀ずった。
「秋本ちゃんって、香水か何か使ってるの?」
「んー? 私は別に化粧品に興味も無いから、使ってないなぁ。ホラ、そういう立場の仕事しているからね。もしかしてシャンプーの匂いが強すぎたかな……車酔いしそうだったら、窓を開けても良いからね?」
「……」
高嶺の花の色は黒。小さなその羽をばたつかせても、届くには至らず。
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