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『春は曙』などという固定概念がとっくの通りに廃れてしまった平成エックスエックス年五月中旬、雨のち晴れ。
桜吹雪のひとひらも残さずに去っていった初春は、また来年にでも凩(こがらし)を追い掛けて訪れるであろう。
時刻は夕方頃。言い方を捻れば放課後とも呼べる。今日はもうチャイムが鳴る事は無い。普通ならば、既にこの学校に通う生徒は悠悠閑閑と帰路に着いている頃なのだ。
そんな中、わたくしこと阿久根 真矢(あくね しんや)は御手洗いにて寸暇を取っていましたとさ。
しかしてそれは平々凡々、または徒然なるままに送る高校生らしい御手洗いの使用法とはズレている。
気だるさを堪えて胸一杯に吸い込んだ空気を、ため息に変換して吐き出す。
「なんとか言えよ!」
瞬間、こめかみをえぐる拳一つ。脳ミソが揺れ、意識がぷつんと途切れてしまいそうだ。
俺の眼前には、片手の指の数に収まるほどの男が立っていた。無論、こいつらの名前など全くと云っていいほど存じ上げていない。
ただただナナシのゴンベエ達に集団でリンチされている。そんな些細な出来事であった。
時間の無駄と捉えたとしたら否定はできないが、物は考えようだ。マイナス思考に陥るばかりではストレスが溜まってしまう。
ペットボトルに水が半分入っている時に、「もう半分しか無いのか」と捉えるか、「まだ半分もある」と捉えるか。心にゆとりが欲しくば、誰だって後者のような気持ちでありたいだろう。例えるならばそんなカンジだ。
……いや、実際問題それとこれとは別で、お門違いなのかもしれないな。
少なくとも、ただただ殴られ蹴られ罵倒される事に対してプラス思考に考える人なんて存在しない。そういった趣向を持つ人間がいるなら話は別だが。
マイナスとゼロ、それだけが今の俺が抱く事のできる思考パターンである。なんとも嘆かわしい。
話は変わるが、一種の動物として生まれたならば少なからずとも一度は感じた事がある物を、どのくらい挙げられるだろうか。
空腹、眠気、倦怠感、喜び、悲しみ、憂い、怒り、背徳感、エトセトラ。場合によっては狂気すらも覚えた事がある者もいるらしいが。
さて、挙げようと思えば幾らでも挙げられるこれらの内に一つ、重要な二文字が含まれている。
それは『痛み』だ。
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