0.触穢へのペレストロイカ

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 心底どうでもいい出来事とはいえ、こう何日も暴力を振るわれていれば、嫌でも覚えてしまう。  また蟻が咬んできた。僕の体は蟻の舌に合うのだろうか――例えるならば、このような感じ。  痛みを感じる事ができたのなら、きっともっと違った例に似せる事ができたのかもしれないが、どう足掻こうとて治しようが無い。そもそも足掻く意味すら無い。  だってそうだろう? もし無痛が治り、今とは違った思考パターンを得たとて、この状況を打破できるわけが無い。  俺が変わったからといって相手の心情が変わってくれるなどと云うような好都合な話など無い。苦しみを増やし、無益な結果しかもたらさないだろう。  別に良いではないか、苦しみの欠けたこの場所に留まっても。別に悪くないではないか、敢えて更に苦しい場所へと進まなくとも。  どのみち待っているものは、空虚で固めた壁しか無いのだから。 「……ゴホッ!」  遂に喉から溢れだした血は、タイル張りの床を真っ赤に染め上げた。我ながら鮮やかな色をしている。  痛みこそは感じなかったとて、体が弱っている事には変わりない。意志に肉体が着いて来ていないのだ。 「うお! コイツ血ィ吐きやがった!」 「も、もうヤバいんじゃね? なんかあったらシャレにならないぞ……!」  口の中に広がっていた鉄の味を、唾液と一緒に飲み込む。ぬるい液体がみぞおちを目指して流れていく感覚がハッキリと表れていた。  一部だけ赤い床を見下ろしながら、むせ返る液を抑え続ける。もしまた血を吐き、運悪く制服にへばりついてしまったらクリーニング代が飛ぶ。この理由が在るから。  男達は困惑の声を洩らしていた。たった一度視界に入った血反吐ごときでうろたえていたのだ。  なんだ、蟻は蟻でも血が怖い蟻なのか。なんと蟻らしくない蟻なのだ。さすが『春は曙』という固定概念が廃れた平成エックスエックス年。ステレオタイプな考えはもう二度とできなさそうだ。 「引き上げるぞ。そろそろ校長が見回りに来る」  血を吐こうが吐かなかろうが、どのみち見回りが来る時間帯にはこの茶番が終わる予定だったのか。  常時あらゆる事物事情に興味が無く、無関心を貫き通してきたので校長の名前など覚えていないが、蟻を取ってくれてありがとう。校長さん。
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