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この人は、ボクを試している。既に分かり切っていたことの、再認識。閉じた瞼を開けると、微笑んでいる伯爵の表情が目に飛び込んできた……正直、意外だった。
この微笑みの意味が、図りかねる。
一抹の不安が汚泥の様に湧き上がるが、もうボクにはそれを抱えて駆け上がるしか道がない。その先で汚泥がボクの身体を縛り付けるか、あるいは溶解するのか、それは登ってみなければ分からない。
「……全ての法律には、意味があります」
だからボクは言葉を紡ぐ。その言葉が、遥か高みへと登るための唯一の道なのだから。それしか出来ないのだから。
「例えば教育の義務なら、未来を担う子供たちをきちんと育てる目的があり、表現の自由には自由な表現を認めるという意味があります。ですが、あれにはそうした意味が見えて来ない。ただ一方的に禁止しているだけの、憲法としては少数派の規定です」
「検閲の禁止も一方的な禁止と見受けるが?両者の差異を説明できるかな?」
ミュラー伯爵が問う。口頭試問のようなやり取りは、ボク流の見方をするのならば、ミュラー伯爵の「攻撃」だ。とはいえ、この攻撃はパンチでいえば様子見の一撃だ。それほど恐れることはない。
「検閲の禁止には、国家による恣意的な言論弾圧の防止という、明快な意味があります。歴史学習の禁止規定には、そんなメッセージ性がありません」
メッセージ性という表現がこの場で適切な形容かどうかは、この際置いていこう。
伯爵はこの回答で満足したのだろうか。それは断定できないが、それ以上追及の手を伸ばしてこないので、話を続けることにしよう。
「だから、ボクはそれが知りたい。憲法を学ぶ者として、その背景に何があるのかを調べたいのです」
「そのための唯一の手段としての史跡訪問、という訳かな?」
「そうです」
この国には、書物はあっても歴史書というものは存在しない。同時に、歴史的な事実を何らかの方法で利用することもできない。書物の発表や、事実を利用する前に歴史的事実を探求したとみなされるからだ。そんな判例が存在することは、既に知識として吸収している。
同様の理屈で、宗教も困難な問題に直面する。歴史上の聖人がいたとして、その人を神格化した宗教も歴史学習と捉えられる。だから、ノルスティン王国民での宗教は万物に神が宿るとされているのが普通だ。こうすることで、先人たちは歴史と宗教の分離を試みたのだ。
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