Zwei

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 閑話休題、この国で歴史を辿るには史跡を訪問するしかない。それが憲法の沿革を辿るという史跡探訪という単語と直接結び付きそうもない理由であっても、だ。  時計の針の音は、もう気にならない。むしろ気になるのは先程から微笑みを絶やさない面前の人物。  ミディアルさんと通謀してボクを捕まえるべく何らかの合図でも交わしているのだろうか。そう思ったが、それにしてはミディアルさんの側に動きが無い。少なくともボクの部屋の外で待機しているのなら、階段を降りる音が聞こえなければおかしい。古いアパートでは、階段の軋む音なしで階下へと下るのはまず不可能に近い。ということは、ミディアルさんは何の行動もしていないと考えるのが合理的だろう。 「…………」  そこまで考えて、ミディアルさんが二階から飛び降りる姿と、銅像の様に動かない二つの姿が思い浮かんだ。どちらもありえそうだが、どちらも怖い。 「キース君、理由はそれで御終いかな?」  ボクの疑心暗鬼などまるで慮る様子もなく、ミュラー伯爵の老成した声がボクの鼓膜を震わせる。 「いえ、もう一つだけ」  気を取り直そう。 「常識が法律を作る……この言葉を、御存じですね?」「無論だ。それは私の父の持論であり、私もよくそれを聞かされたものだったよ」  ミュラー伯爵の父は、この国でも著名な刑法学者だ。彼が著した刑法関係の書物は数知れず、学派を形成している程だ。  その人物がよく述べていたのが、この法諺(ことわざ)だ。刑法や憲法のような法規は、その時々の常識や時代のニーズを明文化したものに過ぎない、とする考え方のことだ。  例えば、外国の刑法では歩きながら葉巻を吸う事で罰金刑を科されることがある。何故そんな法律があるのかと問うと、それはその国では葉巻を吸いながら歩き回ることが悪いことだと、国民の大多数がそう思っているからということになる。  事実、各国に独自の罰則規定があるケースは、枚挙に暇がない。 「この国では、歴史を学ばないことが既に常識として広く受け入れられている。しかし、既にその前提がおかしいのです。本来なら、歴史は正しいか、正しくないかは別として、誰でも勉強し、研究することが出来る筈なのです」
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