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いつの間にか我が家の部屋の前に戻っていた。右手にはナイフを握りしめている。緊張で手に汗をかいてきた。
この階の一番端の部屋、2012号室。今年の年号と同じ、2012。まさか記憶を失ってから1年回って、今が2013年1月、ということはないだろう。ないと信じよう。1年以上の記憶を失ったなんてごめんだ。
ただ覚悟しなければならないということは分かっているつもりだ。この先、俺にどんな出来事が待っているか、どんな事実が降りかかってくるかまるで分からない。母親殺しの犯人が自分だということもあり得るのだ。父親ももしかしたらこの手で…。考えても埒があかない。頭の中で仮想の映像を創り出すより、目の前の現実をしっかりとこの目で見るしかない。全てを現実として受け入れていくしかない。俺は部屋のドアノブに手を掛けた。
…部屋には異様な雰囲気が漂っている。この中はいやに静かだ。静か過ぎて恐ろしい。自分の呼吸の音しか聴こえてこない。
ここが自分の家…。ここに何年間か住んできたはずだというのに、まるで自分を拒絶するかのように、はりつめた空気が胸を圧迫してくる。
部屋は暗く、視界は1メートル程しかない。部屋の奥の闇に心が吸い込まれてしまいそうだ。覚悟を決めていかないと気を失ってしまいそうな、そんな覇気を放ちつつ、かつ静かに、その闇はそこに在る。
だが俺は全てに打ち勝って前に進み、あの男を探さなければならない。母親の亡骸を前に、立ち尽くしていた俺をまじまじと見ていたあの男の招待を突き止めなければならない。
精一杯の力で一歩を踏み出した。するとかすかに目の前の闇が動いた。
男はまだこの部屋にいる、確信した。相手はもう自分の存在に気づいているだろう。
俺は玄関の電気を点け、辺りを確認した。闇は奥に引き下がり、リビングの入口まで見えるようになった。特にさっきと変化はないように思われる。
しかしこのままでは相手からだけこちらの姿が見えてしまう。状況を確認した俺は再び電気を消し、さらに前へと踏み進めた。
いよいよだ…。リビングの電気のスイッチに手を掛け、深呼吸をした。身に染みる空気、心を削ろうとする闇を肌で感じ、呼吸を感じ、集中を高める。
ついに電気がついた。亡骸はまだあるようだ。男はソファに座っていた。その視線の先には窓があり、空気中の何かを見ていた。
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