適当

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現在ほど、国家は何のために存在するか、企業は何のために存在するか、社会保障は何のためにするのか、この基本理念を押さえる必要がでてきた時はない。国は国民に対して、生活と生命を守るという究極の責任と目標をもっている。このため日本国憲法は以下のような規定を定めた。 日本国憲法 第13条:すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。 第25条:すべての国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 日本国憲法は1948年世界ではじめて「社会保障」という言葉を開発使用した。これはワイマール憲法を参考とし、国民の生存権と労働基本権などを保障するとしたものだった。この思想は大変優れたもので、世界に誇るべき憲法との評価があった。国家の究極の目的は国民の生活と健康を守ること、その目的のため社会保障を推進する。このため国家は税金を集めることが許される。 近年、政府は国民の生活と健康を守ることを放棄し始めた。健康保険には縮小政策をとり、政府管掌健康保険を民間に丸投げをしようという議論すら起こした。彼らは「金の無いものは医療を受けるな、命も病気も金次第」と豪語した。政府は国民に対して「人間らしく生きる権利を保障することを止め」そして「単に死ぬ自由と失業する自由」を国民に与えるだけとなった。集めたお金の使い道を誤り、世界一の社会保障小国ともなった。 企業はなぜ税金や健康保険料を支払う必要があるのか?憲法13条に有るように公共の福祉に反しない限り、自己の利潤を追求することが許される。彼等は日本の国家資源を利用して企業活動をする。したがって彼等には国に税金を納める義務が生じ、医療保険の一部負担などの義務も起こる。しかし、近年はこの原理が無視され、企業側は「社会に害毒を流しても営利を追求する」、「税金を拒否し、国民健康保険負担を拒否する」などの動きも広がった。 企業と政府が国民の社会保障を削減することに精を出し、残った資金を流用する。そして日本国民の生活破壊と健康破壊が目前にきた。社会不安の前夜になった。もう一度国家は何のために存在するか基本を確かめる必要がでている。
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