~他人と家族~

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~他人と家族~

平成15年6月6日、東京。 父の仕事の都合で、私は静岡の祖母の家で3ヶ月程、お世話になっていた。 …とはいっても、実質“お世話”になったのは最初の1ヶ月位だったけれど…。 自宅で祖母が急に倒れ、そのまま息を引き取ったからだ。 お医者様が言うには脳梗塞だったらしく、救急車が着いた頃には既に手遅れだったそうだ。 祖母には私が生まれてすぐに顔を見せたのが最後だったらしく、 最初は初対面の見知らぬ老婆と一つ屋根の下で暮らしている様な感覚だった。 祖母は“大きくなったね”とか、“学校はどう?”とか、 ごく一般的な、祖母から孫娘への質問を私にしていた。 最初は私も、社交辞令としてそれらの質問に答えてきたけれど、 血の繋がりというのは本当に不思議なもので、 ほんの2、3日会話しただけで、いつしか“見知らぬ老婆”は、 “大好きな私のお婆ちゃん”になっていた。 日数にすれば、たったの30日弱…。 たったそれだけの付き合いだったのに、 祖母が亡くなった時、私は涙と声が枯れるほどいつまでも泣き続けた。 その後の2ヶ月は、仕事で来れなかった父に代わりに、お通夜やお葬式の喪主、 ご近所さんへの挨拶回りとかに追われ、多忙であっという間の2ヶ月だった。 つい先日、仕事が一段落着き、祖母のお参りと私の迎えに父が実家を訪れた。 父の仕事は理解しているつもりだったけど、責めずにいられなかった。 父は何も言い返す事無く、終始俯いたままで私の叱咤を聞いていて、 私が喋り終わると、父は祖母の仏前に手を合わせ、 ただただ、謝罪の言葉を繰り返し呟いていた…。 「ごめん、母さん。本当に…、ごめんなさい。」 その父の姿を見て私はひどく…、後悔した。 父が仕事一辺倒なのは…、私の為なんだ。 私が小さい頃、母が事件に巻き込まれ亡くなって以来、父は男手一つで私を育ててくれた。 私はまだ15歳だけど、父に恩返しをしようと思ったら、 きっと15年分では返し足りないだろう。 父は今年、38歳になる…。 きっと祖母にはその1,2年分の恩返しも出来ていなかったに違いない。 それなのに死に目にも会えず、お葬式にも出席出来なかった自分を恨んでいるだろう。 けど…、私は後悔すると同時に、無言でそれを語る父の背中を見て、 そんな父を心から尊敬し、そんな父の娘である事を誇りに思う…。 了
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