70人が本棚に入れています
本棚に追加
それは戦国時代と呼ばれる時代の最中。
天正十年六月二十一日。
第六天魔王と呼ばれ恐れられた織田信長が本能寺の変にて朽ち果てた。
信長の死後、彼の家臣であった羽柴秀吉は頭角を現し、信長の遺志を継いだ。
そして秀吉は姓を豊臣と改め、天下統一を目指し着々と有力大名をその手中に収めていく。
そんな中、関東で勢力を誇っていた北条家は徳川家康と同盟を結び、家康の計らいによって秀吉と友好関係を保っていた。
しかし天正十五年に関東、奥州の大名に向けて惣無事令が発令されたことにより事件は起きた。
惣無事令とは大名同士の私闘を禁じる法令である。
天正十七年のある日、長年にわたり沼田城と名胡桃城を巡って領地争いを繰り返してきた北条家と真田家だったが、見かねた秀吉からついに裁定が下された。
それは沼田城を北条家、名胡桃城を真田家の領地にするというものだった。
だが、それに不服を唱えたのは北条方の沼田城城主・猪俣邦憲である。
猪俣は惣無事令を無視し、名胡桃城を奪取すべく真田家へ攻撃を仕掛けた。
そして猪俣の思惑通り名胡桃城を奪い取ることに成功したのである。
しかし、その知らせを聞いて激怒したのは大坂の秀吉だ。
北条家は今までにも幾度となく命に背いたことはあったが、なんとか大目に見てもらってきた。
最初のコメントを投稿しよう!