死と転生

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 母親が他界した。  裕福とはかけ離れた貧しい家庭であったため、僕の両親は朝早くから起床し、夜遅くまで働いて帰宅するという生活を送っていた。時が経つにつれ、体力も無く食事もまともに摂る気力さえ失いつつあった母さんと父さんの姿を、小さい頃から見てきていた。  ある晩、家計の負担を減らすために始めたバイトも終え、進学先である市立の定時制高校で九時まで授業を受け帰宅した僕は、珍しくこの時間帯に帰宅していた母さんと居間の戸の前ではち合わせた。いつも母さんは、目の下に隈(くま)が残った疲労で老けてしまった顔で、優しく微笑む。  母さんは寝室に行く途中だったようなので、引きとめることもはばかれる様子から僕は道を素直に開ける。 「おやすみ、みーちゃん」  しわが消えなくなった口で、母さんはすれ違いざまに言った。 「うん。おやすみ」と僕も軽く返す。  それが、母さんと僕との間で交わした、最後の「おやすみ」だった。  これをきっかけに、お互いがお互いを支えあう仲睦まじい両親の姿は、跡形もなく消え去った。  居間には、いつもお酒の空き缶や瓶(びん)が転がるようになった。父さんは相方の居なくなった心の隙間を埋めるかのように、毎晩お酒を飲むようになった。励ましはするものの、悲哀に満ちたその姿を咎(とが)めることなど、僕には到底できることではなかった。  僕も、母さんを失ったその日から、母さんの勧(すす)めで入学を決意した定時制高校に登校しなくなっていたからだ。生活のためと、バイトを欠勤することはなかったが、生活に関係のない学校へは、とてもじゃないが通える心境ではなかった。  通学したら、きっと同情を買うだろう。いや、無関心なのかもしれない。無神経な人もいるかもしれない。考えられるだけの人間性を持った者たちがどう対応してくるか分からないあの高校に、足を踏み入れることがどうしても恐ろしかった。  そして母さんが急逝(きゅうせい)した三週間後。今から一週間前の昼下がりの出来事だった。僕は永眠する父さんを寝室で発見した。
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