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『もしもし? どしたの柴』
「マサ、マサちょっと今家? 暇だよな?」
『失礼な。……うん。今家にいるけど、何かあったの?』
「あー、あーあーあー良かった、じゃあ今そっち行く! 行くから玄関先で待ってて」
『え、でも霧凄いよ』
「大丈夫。すぐ行くからっ」
『……え、柴っ』
一方的に電話を切り、すぐに服を着替えて玄関を出る。見たことがないくらい濃い霧の所為で右も左も判らない。兄貴に自転車を借りた方が速いのだけれど、歩行者がいるかもしれないので止めておくことにした。
「…………っし」
マサの家までの道を頭の中に思い描きながら走る。あまりにも深い霧の所為で車も立ち往生しているようだ。マサの家までは歩いて30分。走ったら15分、いや10分で行けるだろう。標識や外壁を頼りにしながら進んでいく。
どうして今の今まで気がつかなかったんだろう。こんなに目の前にあった筈なのに、こんなにも側にいたはずなのに。
今もきっと、こんなに目の前にあるのに。
「く、っそ……!」
クラクションの音と人々の喧騒が霧の中から聴こえる。周りが見えないだけで、いつもの道がこんなにも危険になるだなんて思わなかった。
息切れを起こしながら曲がり角を幾つか横切る。歩道橋を渡り、ひとつ目の信号を右に曲がった。通い慣れた道。もうすぐ、もうすぐマサの家の筈だ。
「――――柴?」
聞き覚えのある声が聴こえてぴたりと立ち止まる。心臓が脈を打ち、必死に血液を循環させているのが判った。肩で息をしながら目を細めると、霧の先に人影が見えた。
「…………マサ」
小柄な人影。何故だか一目見ただけでマサだと判った。最後の力をかき集めてマサに駆け寄る。マサはいつものニット帽を被り、ワンピースの上に毛糸のポンチョを羽織っていた。
「マサ……っ」
俺はその身体に腕を回し、優しく、けれどもしっかりと抱き寄せる。小柄な身体は俺の腕の中にすっぽりと収まった。毛糸の匂いが鼻先を擽り、服越しに人間の体温が感じられた。
暖かかった。
暖かすぎて涙が出た。
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