児童福祉施設での生活

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児童福祉施設での生活

今でも、微かに記憶している。その日の事を… 姉が四歳、俺が三歳、弟が二歳であった。 我々三人は車で施設に送られ、 日が暮れ始めた時に、 親父は涙目で、俺達を施設に預けた。 姉と弟は泣いていた記憶が在る。 俺は不思議と泣いて無かった記憶が在るが、 その夜には布団の中で泣くのを堪えていた記憶がある。 その施設には、幼児寮と、学童寮が二棟、女子寮が一棟が在った。 全部の児童数は、百数十名が居る。 幼児寮は約20名程で、保母先生が確か二人程で、 学童寮は一棟に40名程で、1階、2階と有り、1フロアーには、班が四つに分かれている。 学童寮は、1寮上下に各二人の保母先生が親代わりみたいな感じでいた。 俺達は幼児寮から、小学生に成ると学童寮に移動となる。 幼児寮での思い出す事は、寝る時に、レコードから聴こえる童話の話しが、 何故か淋しい気持ちに成ってた記憶しか無い。 母親の記憶が無いから、親父に会いたいって、 何時もレコードからの童話を聴きながら感じてた。 唇を噛んでた涙を堪えてた事を思い出す… 思えば、施設には、色々な事情で預けられてる子供達がいる。 現代では、児童虐待等の問題で預けられる子供達も多いと聞いているけど…、 当時は、そのような問題で預けられる子供達は少なかった記憶がある。 両親に捨てられた子供、 捨て子で名前すら無く、来る赤ちゃんもいた。 突然、死に別れで来る子供、 経済的な理由で来る子供が1番多かったかも知れない 我々の施設の近くには米軍基地が有り、 父親を知らないアメリカ兵との間に生まれた子供も、時代背景だった…。 その、米軍基地には、 毎年アメリカ兵のボランティアで、クリスマスをして貰ってたから、 何故か親しみさえ感じていた俺達だった…! 学校には、一般家庭の子供達と同じ公立の学校に通う。 学校と、学園(施設)との生活がスタートする事に成った。 それは、学園の中と、学校でも、常に闘いの日々だったかも知れない…。
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