親父の涙銭と、先輩の死

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親父の涙銭と、先輩の死

それは、年末前で帰省を楽しみにしてた日だった。 何時も格好よく、後輩からも慕われ、ジェームスディーンのような顔立ちの先輩だった。 何時ものように、後輩達を笑わす?驚かす?だったのか? その先輩は、ベッドとベッドの間にタオルを巻き付け、 死刑は首吊りされると俺達に言いながら、 その真似をして見せた。 少しの間が在り、その先輩は、全く動かず、喋らず、 瞳孔が異常な感じだった。 俺達は冗談でしてるのに、凄く怖く成り、 直ぐに先生の所に駆け付け呼んで来た。 もう、その先輩は亡くなっていた。 今では、大問題の事故だろうけど、その後の経過は子供達には解らなかった。 大好きだった新垣先輩が。星に成ってしまった日を今でも忘れる事が出来ない! 親父が満面な笑みで、俺達兄弟を迎えに来た。 また、親父と五日間一緒にいれる喜びは、この歳に成った今でも忘れられない。 親父は何時も、外食では、お酒、日本酒を二回お代わりするだけで、 何時も沢山子供達には食べさせてくれた。 おこずかいも、先生にばれないように、内緒で十分にその時はくれる。 学園は、基本的に自由に使える金は一円足りとも無い! 月に150円だったと思うが、有るけど全部貯金で必要な物にしか使えない! だから、内緒の隠し金が必要になる。 親父は建設業しながら、実は身体も酒でだいぶ弱っていたと思う。 帰省した時に、借金取りが来て、謝ってる姿を見て、 あ、無理して俺達に十分なこずかい渡してたんだと、 切ない気持ちに成っていたのは、 姉も弟も同じ気持ちだったと思う。 最後迄、独り身でいた親父は幸せだったのか・・ 46歳で死ぬ親父との最後の帰省は後二回有った。 涙見せぬ親父が、金をくれた時に、 薄っらと涙目に見えた日だった。 やっと中学生に成って、マンモス中学に通う日も、もう直ぐだった。
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