アイオーンの花

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 母は病気で寝込んでいた。もう母が病気と分かってから何年経っただろうか。その何年もの間に、母の元気は消えて行き、次第に寝込む事が増え、言葉数は減っていった。今はもう、呼吸はしているものの、目を開ける様子がない状況が数ヶ月程続いている。入院しているとは言え、病院にいてもただひたすらに延命治療を続けるだけで、回復の見込みはない。だから、延命治療を止めないか、そう医師に話をされたが、眠っている母と、ママ、元気になるよね、と不安そうに見つめる幼い妹の結菜(ゆいな)を見ると、治療を止めるという決断が僕には出来ず、僕の首が医師の前で動く事はいつもなかった。 ※  「お兄ちゃん。アイオーンの花って知ってる?」  ランドセルを背負った結菜が、にっこりしながらそう尋ねてきた。腕で大切そうに絵本をぎゅっと抱いている。絵本の表紙にはご丁寧に、大きく『アイオーンの花』と書かれている。おそらく、ギリシアの永遠の神、アイオーンにちなんでいるのだろうから、永遠に咲きつづける花と言う意味なのであろう。 「ごめんな。お兄ちゃんには分からないや」 「えぇ、お兄ちゃん、大学生なのに知らないのぉ? 結菜でも知ってるのに」 「知らないなぁ。結菜、教えてくれないか?」 「ぇえ。でも、お兄ちゃんには特別に教えてあげるね!」  結菜が言うには、アイオーンの花とは碧く光り輝く花だそうだ。その花はとても珍しく、見つけるのは到底困難であるが、その根を煎じて飲めば妙薬となり、不老不死の力が手に入ると言う。まさにお伽話の世界の話で、現実味のないお話であるが、結菜はあんなにも目をきらきらさせて語っていたのだから、何か考えがあるのだろう。 「ねぇ、お兄ちゃん。アイオーンの花、きっと近くにあるよね。アイオーンの花の根っこをお薬にしてお母さんに飲ませてあげたらきっとお母さん、目を醒ますよね。結菜が覚えてないくらい小さい時みたいに沢山遊んでくれるよね」  結菜の声は弾んでいた。アイオーンの花なんて存在しないんだよ。お母さんはもう、目を醒まさないんだ。そう言ってしまう方がいいのかもしれない。それが、僕と結菜が直面している現実だからだ。けれども、結菜が本当に小さな時に父親も事故で死んでしまっている事も結菜には伝えておらず、お父さんは単身赴任で帰ってこれないんだよ、と教えていた。だから言うに言えない。母の事はもちろん父の事も。
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