彼、甘くない

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「タータータ、タータータ、ここは三連符になってるから」 桐谷が分からない部分を、先輩は口でリズムを教えていく。 「三連符ってのは分かるけど、実際合わせた時に絶対ズレる気がするんすよねぇ」 「ちょうどテンポの変わり目で、難しい所だもんね」 気の毒そうに笑顔を作る彼女に、桐谷はニヘラと表情を緩める。 見ないようにしても視界に入る彼らのやり取りに、俺は音を出すことだけに意識を集中させた。 本当に分からないのではなく、ただ彼女の近くにいたいだけできっかけを作っているような桐谷は、まだいいと思う。 今までリコーダーくらいしかまともに触ったことのない自分にとって、楽器はもちろん、譜読みなど、当然の如く未知の世界に触れるようなもの。 貰った楽譜にウジャウジャと連なる、オタマジャクシのような音符達。 頭が痛い。 これを全部、あんな風に先輩に教えてもらうことになるのだろうか。 彼女に対してどんどん借りが出来てゆく。 返せるくらい、上手くなれるのだろうか。 ――トゥー。 頭いっぱいに何も考えずに力を入れると、聞けるくらいの音が自分の楽器から出ていた。 すると、 「凄い」 それまで桐谷にかかりっきりだった先輩は、俺の方を見て頷いている。 「……今までで一番きれいだったと思う」 もう一度吹いてみて。 あれ、何で自分よりこの人が嬉しそうな顔をしてるんだろ……。
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