いつか、の物語

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―――…さま、弓幻様はおられぬか!? ―――如何されたのですか? ―――若君が、 ―――まぁ、またですの。 ―――御館様が早う弓幻様を呼べと、 ―――あの方はいつもふらふらなさっているから、何処にいるかは…… 「儂が、どうかしたかの」 いきなり耳元で聞こえてきた、男とも女ともつかぬ美声に、下男と下女は飛び上がった。 ばくばくと音を立てる胸を押さえつけながら首を動かすと、彼の人がくくくっと可笑しそうに笑っていた。 「弓幻様!!」 「おう、応。どうした、そのような顔をして」 「どうしたではありませぬ!!何処にいらしたのですか!?」 「はて、異な事を。儂はずぅっと前からここであれを見ておったのじゃが」 ついと指す方には白と桃色の見馴れぬ美しき花。 聞くところによると虎百合と呼ぶのだそうだ。 そんな物が、この庭にあったであろうか。 下男がふと疑問に思っていると、弓幻はひょいと草履を脱いで何処ぞへ足を向けているではないか。 「弓幻様!!」 「喚きやるな、分かっておる」 首だけ動かして弓幻が言う。 「あ奴が呼んでおるのじゃろ、よう聞こえるわ」 あのむずがる声は、耳に痛いのう、 それだけ残して弓幻の姿は消えてしまった。 ―――ああ!!若様、どうなさったのです!? ―――そう愚図られますな。 ―――ええい、弓幻はまだか!? 矢鱈と騒がしいとある一室。その部屋の障子がたんと音を立てて開かれた。 「あな煩やな。それではそ奴はより喧しゅう泣くだけぞ」 「弓幻!!」 「やれ黙りゃ、信秀。きぬ、坊を儂に寄越しやれ」 そう言われて、きぬと呼ばれた女房は腕に抱いていた赤子を弓幻に預けた。赤子はどうしたのか、火がついたように泣いていた。 「おーよしよし、どうしたのじゃ吉法。何ぞ憂い事でもあったのか」 そう弓幻が宥めながら赤子の背を撫でると、赤子は是と言うかのように一層大きな声で泣いた。 「おう、応。それは難儀よの。じゃがそう泣きやるな。ぬしが呼ぶ、弓幻はここに居る故」 その言葉を聞いた赤子―吉法師は途端に泣き止み、そしてすうよすうよと寝息を立て始めた。まるでそこが、弓幻の腕の中がこの世で一番安全な場所だとでも言うように。
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