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「ほんに不思議でございまする。何故弓幻様があやされるとこうも容易く寝てしまわれるのか」
女房達が口々に言うと、弓幻が唇に指を当て、しぃと合図した。それを見た彼女らは慌て口をつぐみ、弓幻と己が主に礼をして退出していった。
「…遅いぞ、弓幻」
「やれそう言うな。そも儂は坊の乳母<メノト>ではないぞ」
「こ奴はことごとく新しい乳母が気に入らぬようだ。……あれも、これを好いておらん」
信秀ははぁと溜め息をついた。
「ほ、己が妻や子をあれこれなど、どうしようもない父<テテ>じゃのう」
のう、吉法?
そう健やかに眠る息子を抱く弓幻を、信秀はじと目で睨み付けた。
「そもそもお前が俺の嫁にならないから、」
「何度言わせれば気が済むのじゃ、この空<ウツ>け。否と言うておろうに」
「何故だ」
「否は否じゃ」
「誰ぞにか、操立てでもしているのか」
「………、」
「誰を想っていようが構わない。俺の嫁になってくれ。側室が嫌だと言うならあれとは別れて、お前を正室に、」
「空け。そんなこと出来るはずも無かろうて。また戦を呼ぶぞ、まぁ、儂は構わんがの」
にやりと笑う弓幻に、信秀は尚も食い下がる。
「誤魔化すな、俺とて餓鬼ではない」
すると暫くの沈黙の後、ちっと言う舌打ちが聞こえた。
この女<アマ>……。
「弓幻、てめぇ」
「やれ、怒りやるな。坊が起きてしまう故」
額に青筋を浮かべる信秀とは対照的に弓幻は涼しい顔で吉法師を抱いている。ふと、信秀は思った。
「お前、疲れないのか?」
先程からずっと吉法師を抱えいる弓幻。すると彼女は、らしくもなく眉を寄せて困った顔をした。
「やれ、坊が離しやらんのよ」
よく見ると、小さな紅葉が弓幻の着物を掴んでいる。
「……よく懐いてるな」
「ほんに不思議よ。儂は坊の母<カカ>ではないのじゃが」
「生母より余程母らしいぞ。そのまま、本物の母になってやってくれれば、」
すると、ついと白い指が唇に当てられ、信秀の言葉は遮られた。
「お前が愛しておやり」
「……俺 は、」
弓幻は立ち上がって襖を開け、庭の景色をじぃとみつめる。
「お前が、愛しておやり」
それを聞いた君の顔を知らぬ
(お前が愛しておやり)
(お前が愛さなければ、誰が愛すと言うの)
(誰にも愛されないことが悲しくて、この子は泣いているのだから)
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