遠い理想郷

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しかしこの時代の冷凍睡眠は技術的に完全に確立しているわけではない。この時代の技術では完全に凍らせてしまうと解凍した後に蘇生ができない。だから主要な器官は半冷凍になるのだが、それだと加齢を遅らせる程度の効果しか得られない。どのくらいかといえば、実時間の約3分の1ほど。それでも150年の旅路が50年になれば現実的に思えてくる。 宇宙省はこの計画を打ち上げ乗員の希望者を募った。しかし手を挙げる者はごくわずか。それもそのはず、150年をかけてそれも眠ったまま50歳も年をとり、ようやく辿り着いた未開の地で、人生の残されたわずかな時間を過ごすなどバカバカしくて涙が出る。希望者はおおよそ正常ではない。 結局宇宙省の資格者で手を挙げたものは10人に満たない。或る者は過去の栄光を引きずるアルコール依存者で、或る者は死に場所を求める老齢のアストロノーツ。どれもこれも帯に短くたすき長い。たった一人を除いては。そうエム氏である。 エム氏が志願したことを知って彼の周りの者は口ぐちに彼を制止した。あんなものは宇宙省の馬鹿げた人体実験だ、とか。自殺願望があるなら精神科を紹介するとか。それでもエム氏は聞く耳を持たない。 彼には人類の旅の宿命を背負っているという自負と、誰よりも先に誰よりも遠くに行きたいという野心があるから。
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