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テーブルを叩かれ慌てた春花は、駆け足で台所へ向かった。空を怒らせたり、不機嫌にさせると、無事では済まない事を兄弟誰もが知っている。
幼い時、虐められている春花を救ったのは空だ。話し合いと言う正義ではなく、力でねじ伏せる正義で。あの時以来、春花は兄弟の中でも空には決して!逆らってはいけないのだと、幼い心ながら確信した。
ボーンッ ボーンッ
「一時だ…」
部屋の中に響いた音は、あの古い柱時計からだ。空はふっと目線を扉に移すと、春花を呼び戻す。
「春花!扉を開けてくれ、お客様だ」
「もうっ…空兄ぃも動いてよ」
淹れたての珈琲を空の前に置くと、春花は扉をゆっくりと開いた。外に広がる闇と、街灯が照らし出す民家。上を見上げても、星は見えない。
「こんばんわ」
ふっと耳に届いた声は、珍しく幼い声だった。こんな時間に、しかもこんな所に。目線を下げると声と同様、春花より幾分小さな男の子が立って居た。
「今晩は。いっらっしゃいませ、ようこそ“Regret”へ」
頭を下げる春花に、男の子は慌てて頭を下げた。本人はなぜ此処に来たのか分かっていないのだろう、不安そうに春花を見つめた。
「外は寒いし、中へ入りな大丈夫、何も怖くないから」
コクリと頷くのを確認し、小さな手を引いて店の中へ案内した。
先程と変わり部屋の中は明るく、無造作に置かれた骨董品も無くなっていた。いつの間に、そう思えるほど時間など経ってはいない。あるのは春花が座っていたソファーと、小さな丸いテーブル。空が座る豪華な椅子と、本を置けるサイドテーブル。汚い…散らかっていた部屋が見違える様に綺麗になり、空は満足そうに珈琲を飲んでいた。
「随分と小さなお客様なんだ。吃驚しちゃったよ」
「だからさ、顔は全くもって変化してないから!無表情じゃん!」
「精一杯のリアクションだけど…。あんまり煩いと、お客様が怖がるよ?」
はたっと気が付けば、春花の声に怯えたのか、ぎゅっと手を握っているではないか。小さな体を抱き上げ、春花はソファーへと座らせた。
「ごめん。怖がらせる訳じゃなかったんだ」
許して?春花が呟くと、男の子は首を振り『お兄ちゃんは悪くないよ』と、少しだけはにかんだ。
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