Act.1 始まりの声

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視覚から得た外見上の特徴。それが概ね一致している生物に俺は覚えがある。 けれど眼前で佇むそれを記憶にある生物と断定するには獣を構成した一つの要素があまりに覚えとかけ離れていた。 「熊……なのか?」 零れ落ちた言葉が疑問系になってしまうのは獣の全貌を覆った艶のある青色の体毛から。 自分の知る限り確かに熊は赤茶や黒ーー地域によっては白色など色合いの異なる同種がいる。 白黒模様の種類なんかは動物園の人気者である事は言うまでもないだろう。 だが少なくとも青い熊なんて今まで見た事がない。 「あー……品種改良も随分と進んだもんだな。青い薔薇の次は青い熊ってか。うん、意外と似合ってるぞ?」 あまりに突拍子もない相手と状況を前にして口から垂れ流されるのは場を弁えない軽口。 ひきつった笑顔の伴うそれに空笑いまで追加しながら、けれど視線を相手から外さないままで俺はいそいそとザックを背負う。 結局相手が熊なのかどうかはまだわからない。 しかしそうであろうとなかろうと、この状況において二つだけ確実な事があった。 一つ目は急に向けられたライトの眩しさに気分を害された獣が改めて敵意を露にしている事。 そして二つ目はどう贔屓目に見てもまともにやりあったら自分に勝てる可能性など微塵も無い事である。 「ガァァァァァァァァッッ!」 「うおわぁぁぁぁぁぁぁ!?」 一歩目から全力だった。 雄叫びを引き連れながら朽ち木に爪を立てて駆け出した巨体は外見に反し、素早く俊敏な動きで迫ってくる。 しかしそんな野生のパワフルさを確認する余裕などあるわけもなく、俺もまた絶叫を引き連れながら死に物狂いで逃走する。 そうして始まる追走劇だったが、都会純粋培養の人間と今日まで生存競争を勝ち抜いてきた野獣。 単純に身体能力だけを比べればどちらが優れているかーーそんな事は考えるまでもない。 現実は無情で必死の疾走も虚しく彼我の距離はぐんぐんと縮まり息遣いと共に共謀な気配が近付いてくる。 更に散々森の中をさまよった事で既に疲れの溜まっていた体からは痛みの悲鳴が挙がっていた。 「くそっ!クソッタレぇぇぇぇぁぁぁ!」 けれど一度危機を感知した生存本能が泣き言をぬかす肉体に鞭を打って限界を迎えた手足を機械的に動かし続ける。
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