Act.1 始まりの声

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(ヤベェ……!) 体を動かす暇どころか声を出す暇もなかった。 斜面を味方に加速した獣との距離は呼気一つ分の間に半分に縮まり、瞬きの間に眼前へ迫る。 月下に反射する鮮色の体毛。 そこから覗く鈍い艶を持つ牙と粘液を撒き散らす赤い舌が恐怖を伴って脳裏に焼き付く。 二つの色から想像される未来ーーそれが避けられない事を認知した無意識はその瞬間を恐れ固く目蓋を閉ざして、 「ーーっ!?」 体が宙を舞った。 横から首根っ子を掴みかっさらうーーまるで猛禽の狩りにも似た手法によって。 直後、十数秒前に直近で聞いた音が今度は少し離れた位置から二倍近いボリュームで再生される。 痛みは無い。あるのは浮遊感のみ。 その微かな浮遊感も数秒経たない内にようやく訪れた軽い衝撃と共に体を走り抜けた。 だが当然それはあの獣の突進によるものではなく、体が地面を跳ねたものである。 (一体……何がーー 「なんとか間に合ったな……。無事か」 「ーー!?」 噛み合わない想像の痛みと現実。 その違和感から固く閉ざしていた目を開けた瞬間、凛と澄んだ声が正面からかけられる。 固く、男の様な口調。 しかし言葉を紡いだ声音はよく通る女性のものであり、しかも同年代かそれより下の少女のそれ。 ーーそして耳がもたらす情報は月明かりの中で見た膝立ちで獣と対峙する細身の背中によって裏付けられた。 (なんだ、こいつ。あれは……剣なのか?) 一本に束ねられた長い青髪を夜風に揺らしながら唸る巨体を見据える少女が纏うのは軽装の西洋鎧に似たもの。 彼女は視線を一切動かさないまま立ち上がると、腰に挿していた棒状の何かを引き抜く。 それは一見長剣の様に見えたが、何かがおかしい。 持ち手は革ではなく現代のアーミーナイフに似たゴム製のグリップ。 本来鍔がある位置には機械部品によって挟み込む様に固定された鈍色の円筒が。 この時点で最早自分の知る刀剣とは別種の何かだが、何より違うのはその刀身だ。 直線状からの緩やかなカーブが頂点を象るそれはニスでも塗ったかの如く滑らかな表面で月光を反射する。 どう見ても金属製ではなく、鋭利さも感じない。 セラミック製の模造品ーー下手すれば飾りっ気のないスキー板にすら見えるそれを構える少女だが、表情は一分の隙もない真剣なものだった。 助けて貰った事への礼の言葉はそんな理解不能の光景に押し込まれ喉元にすら登ってこない。
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